昨今の高齢者による事故の急増も大きな問題だが、
以前にお話させて頂いていた運転手の高齢化も大問題
ここ1~2年のことだが、トラックによる事故のニュースで運転手の年齢が60歳半ばとかの場合が多いのに気付いている人もいるだろう。
年金の給付年齢の引き上げ云々があるのかは余り詳しくないのでご自身で調べてもらうとして(そのほうが自分の為にもなる筈)、雇う側も運転手がいなければ
トラックは動かないので高齢者のドライバーを雇わなければならないし、
ドライバー側も前述の年金等の問題で働かざるをえないのかもしれない。
しかも、潤沢な定年退職金なんて期待できる企業の方が珍しい中小零細企業が99%の運送業界に於いてということも踏まえてだが。
社会という物の構造上、
様々な要因により
『持つ者と持たざる者』
に振り分けられるのである程度は仕方が無いことではあるのだが、
およそ60歳半ばで運転手をしているのは「持たざる者」なのだろう。
そのことについて「政治が悪い」とか「社会が悪い」とかの批判はするつもりは
毛頭ないのであしからず。
どちらかというと
本人の問題だと捉えるのが筋なのではないだろうか。
例えば、運送業界だけでなく、派遣労働者もしかりで現状に甘んじていると蟻地獄のように這い上がれないだけでなく飲み込まれてしまうというのがある。
派遣で働く人たちは、正社員の求人が無いとかの理由で仕方なく派遣会社に登録して働いている人も多いことだろうから、運がよければ派遣先で正社員にしてもらう若しくは、正社員の仕事が見つかるまでの繋ぎとして考えている人もいることだろう。
他方、運転手に関してはどうだろうか。
例えば「リストラにあった」「会社が倒産した」等の様々な理由で「輪っぱ稼業」の道に進んだ人もいれば、トラックが好きで運転手になった人もいるだろう。
ここで問題なのは
運転手の気楽さに浸ってしまう恐ろしさ
である。
人間社会しいては動物社会に於いては「競争」というのは生まれ待った本能であるとするならば、その「競争=闘争心」を失ったら這い上がることなど不可能なのは当然のことである。
しかし、この日本においては「法の下に平等」という素晴しいものがあるので
程度に差さえあれ、
出世は出来るし能力さえあれば成り上がることも可能な世の中なのにも関わらず
それすら避けて現状に甘んじている、つまり
努力をしないで逃げているのではないか?
なんて思ってしまう。
「事務所に入って配車したらいいのに」
これは、たまに昔の同僚に会うことがあると必ず言うことである。
只、返ってくる答えが
「デスクワークなんか向いていない」
「運転手の方が気楽」
なんて答えが大多数である。このことに関してワシ自身も現役の時は
同じことを思っていたのは以前話したが、運転手稼業から離れたからこそ感じるのだが、上記の発言は自ら
「限界=壁」
を作ってしまっているのではないだろうか。
運転手の気楽さに慣れてしまうと、現状維持で満足してしまうのだろう。
万が一、年金の給付年齢が更に引き上げられたりした時に、
自分が70歳近くになっても運転手をしている絵が想像できるのなら別にそれが悪いとは思わないが・・・
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