底辺層で生きてきたからこそ感じること①

あまり「底辺」「底辺」「底辺」と言い続けると気分を害される方もいるかもしれないが、
給料だけでなく、色々と弊害が有ると感じるからしかたがないんだわ。

確かに、日本国憲法では法の下には平等だと謳っているが、それは、基本的人権の部分で、やはり貰う賃金によって格差があるのは事実なのである。

また、世の中というのは競争社会なわけで、それは人類、いや動物が生存していく過程でもごく当たり前の出来事なのである。
昔の運動会などでは、順位を付けていたものだが、学校での「ゆとり教育」が始まった頃からだと思うが、最近の運動会では順位を付けないらしい。
これは明らかに動物としての生存活動に反することでしかないと思うわけや。

それ以前に、徒競走で順位がつかないというのは

どないやねん

とは思うわけやが、

そんなもん、足の速い子供もいれば、足の遅い子供もいるわけで、
それらは各々の個性なんと違うか?

しかも、子供の頃から競争にさらされていないと、大人になってから本当に困ると思うわけ。

受験にしても競争、就職にしても競争、そして会社員をしていても競争なんやで。
競争することを、はなから諦めているような人間が形成されていくと、結局は底辺層になる可能性が高くなるわけ。

本来は、就職するというのは、一次面接・二次面接・三次面接なんて関門を突破して、
はじめて就職できるんや。

しかし、競争するのに慣れてない人間が仕事を探すときの基準として、

「即決」「即戦力」「即日」

こんな言葉が魅力的に感じるんやわ。

当然、出来レースの面接のようなもので、余程の人物でなければ採用前提、
そして、次の日から仕事にありつけるかも・・・

そんな所ばかり面接に行っていると、とても二次面接・役員面接があるなんて会社には応募しようなんて考えるわけない罠www。

つまり、面倒くさすぎる。

 

けどな、【そんな「即決」「即日」みたいな仕事=誰でもいい】ってことやから、
給料が良いわけないから、当然そんな転職を繰り返していると、いつの間にか低所得者層に固定化となるんや。

つまり

人生のボタンの掛け違えや

 

早いうちに気付けば、後戻りは簡単だが、気がついた時

ええ歳になってしまってたら大変やから、
特に若者は良く考えるべきと思うが・・・

 

昔は、一億総中流なんて言葉があった、今では格差社会と言われているが、
その格差を誤魔化す為に、あえて学校教育において目に見える「競争」という概念を、
感じさせないなんて方針は間違っていると思うわけだ。

 

 

 

続く

 

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